精神科学教室 医局員の声

きみあきの休み時間 6th 電子カルテ

2016.07.08

(ガチャガチャ)いつからですか(カタタタ)えっとえとえと、きのうの昼からだったと思います(カタカタガチャガチャ)熱はありますか(ガタタタタ)えーっと39度くらいだったかな(ガチャリコ)
  キーボードを打つ音が鳴り響き、僕はただ悲しいふりをする。僕は3歳だし、だいいち目の前の男は「バソコン」に話しかけているので、とくに何も答える義務は感じなかった。答えていたのは、僕を連れてきたお父さんとお母さんだ。二人とも、もう少し落ち着けば良さそうなものを、相手が早口過ぎて、つい慌てたんだそうだ。
  幼稚園の帰りに熱が出てお腹が痛くなり、何度かゲボを吐いた。うんちが出そうで出ない。お父さんは僕のお腹を触って、何度も何度も、どこが痛いのかと聞いた。それからいっぱしに聴診器を持ってきて「音がしているな。みぎ、かふくぶつう」と唱えて、立ち上がった。そして僕はいま、夜だけど病院にいる。病院は注射をする所で、それだけは嫌だったから、もうお腹は大丈夫ですと言い張ったが、遅かったのだ。「ウソをつけ」とお父さんは言った。それを言うなら「ウソをつくな」ではないのか。
  さてその「バソコン」 の男は、なんと聴診器を持って「モシモシしようね」と言い出した。モシモシしたいのなら、僕たちはお互いに電話を持っていなければなりません、と言おうとしたが、注射をされたらかなわないので、黙っていた。それからは、だいたいお父さんと似たようなことをされた。
  結局、注射はしないで済んだ。帰りのタクシーの中で、お父さんの講釈が始まった。耳を診ていない、首を診ていない、電子カルテばかり見ている、背中の音を聴かないのなら聴診器などお飾りである、触診がなっちゃいない、お父さんはショウニの救急の資格を持っているんだぞ、もっと流れるように診察しなければならぬ、と息巻いていたが、僕を寝かせつけたあとお父さん泣いてたよって、お母さんが言ってた。そしてお父さんの自慢話はすべて過去のことであって、もうお父さんにそんな能力はないのだそうだ。僕はただ、あのお医者さん、「バソコン」じゃなくて、こっちを向いていてほしかったな、それだけで安心できたかもしれないのにな、と思っただけだ。

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